適応障害は本人の「気の持ちよう」か?②
上司から「適応障害なんて気の持ちようだ。メンタルの医者にかかると病気と洗脳されちゃうぞ」と言われた患者さんは、その後も同じ上司から「大人になれてないんだ。もともとそういうところがあるから不調になったとか言い出すことになったんだ」と責められたそうです。世間にはこのような対応をされる上司がまだたくさんいるようです。私は、単にこの上司を批判しようとは思いません。私が得ている情報は主として患者さん側から見た情報であり、もしかしたら、患者さんにも何かしら問題があることを私が理解できてない可能性もあるからです。また、もしかしたら、上司には上司なりの事情があって、このような厳しい言動になっているのかもしれません。
その一方で、適応障害を病気と考えるかどうか、私なりの考えをきちんと示しておかないと、上の上司のような人に傷つけられた人が混乱されると思いますので、以下に述べたいと思います。
1.ストレス反応は「質」の異常ではなく「量」の異常と考えた方が良い。
ストレスは誰にでもあります。ストレスがあれば嫌な気持ちがしたり、少し眠れなくなったり、いつものように楽しめなくなることは人間なら当たり前です。ただし、その程度があまりにも大きくなった場合は、「当たり前」ではなくなります。幻覚や妄想が出るような病気の場合は、軽くてもそういうものが確認できれば「病気」というのは分かりやすいはずです。普通の人には通常ないことが起こっているわけで「質的」におかしいと感じやすいからです。しかし、正常な人にもあって、連続的に量的に変化するものは、正常と異常の境界があいまいになります。例えば、血圧も連続的に変化する量です。正常血圧と高血圧の境界もそれほど明確な線が引けるわけではりません。基準はありますが、新たな知見があれば変わったりしますし。でも、200とかを超えれば誰から見ても異常なわけです。ストレス反応の程度も「量的」異常と考えれば、「誰にでもあることだから病気ではない」というのは雑な考えである訳です。そこで正常と「病気」の境目を、あいまいさを完全に排除することは出来ないけれど、設定する必要が出てきます。適応障害の場合は、症状のために日常生活や仕事に支障が出るレベルを超えることが目安になります。このレベルを超えたら「病気」として扱うことは妥当なことだと考えます。
2.その人が持っているストレス対処能力は個人差や環境に影響される。
生きている限りストレスフリーになることはあり得ませんが、多くの人は病気にならずに普通に生活していけます。それは、その人がストレスを処理できているからで、ストレス対処能力と呼びます。これは特別なことではなく、問題を整理して一つずつ解決する、誰かに相談して助けてもらう、気晴らしの活動をするとか、多くの人が自然にやっていることです。この能力には個人差があるため、Aさんには何でもないことがBさんには「病気」を引き起こすことになる場合があります。また、その人自身が例えば「誰かに相談する」という適切なストレス対処能力を備えていても、環境的に誰もサポートしてくれる人がいない状況だと、その相談するというストレス対処行動をとれなくなってしまうため「病気」に至ることもあり得ます。その人の個人状況や環境をよく考えずに、「甘え」「わがまま」「性格の問題」と決めつけることは非常に乱暴なことだと言えるでしょう。