クリニック通信

病気か甘えか?①

病気か甘えか?①

これは「病気」なのですか?それとも「甘え」なのですか?というような質問を受けるのは、医者の中でも精神科医くらいでしょう。患者さんの周囲の人たちからだけではなく、当事者である患者さんからもこの質問をされることは結構よくあります。

そもそも「病気」とは何でしょうか?分かりやすいのは、原因診断ができる場合ですね。
健康な人にはない異質なものやプロセスが確認できればいいわけです。
例えば、結核菌が肺に病巣を作っていて、そのことから出ている症状を合理的に説明できるとか、がん細胞の塊があって・・・とか。あるいは、アレルギー反応のように、本来体が持っている機能だけれども、不適切かつ過剰にそれが起こってしまうとか。こういうものは病気か病気でないかはっきりしています。

一方で、心の病気と言われているものはどうでしょうか?いまだに原因診断はほとんどできない状況です。
もちろん、認知症のように脳細胞自体が変性してしまうことが分かっている疾患が例外的にありますが、たとえば「うつ病」などは現在原因不明です。
「適応障害」は「明確なストレス」が原因と定義されていますが、「嫌なことがあれば多かれ少なかれ誰でも気分が悪くなる」という正常心理の延長線にあり、どこから「病気」として扱うかはかなり恣意的です。
一応「本人が相当苦しんでいて日常生活や仕事に支障が出ていること」が境界線となりますが、そもそも主観的な苦しさは客観的に測定できませんし、支障が出るのも本人のやる気次第と思われてしまう余地はありそうです。

現在、世界的に精神科の診断は「症状の数・組み合わせ」で定義されています。
原因診断ができないものがほとんどなので当然ですね。しかも、症状には主観的なものもかなりありますから、診断基準に当てはまるから病気と言われても納得感が得にくいでしょう。
私は本来、精神科の病気は正常から病気の間がグラデーションになっていて、症状がいくつ以上か以下かでスパッと切れるわけではなさそうに感じています。

病気かどうか判断する際に、まずは病気と診断することそれ自体が「その人にとって治療的であるべき」というのが今のところ私の考えです。
どういうことかというと、①苦しい状況にいること②その状況に好きでなったわけではないこと③自分の気の持ちようや努力で(少なくとも短期的には)状況を改善できないこと、などを認めてあげることで、その人が不毛に自分を責めたり周囲を責めたりせず、現実的な問題解決に向き合うゆとりを取り戻す手伝いをすることです。
甘えではないか?という疑問は病気と診断すると本人が果たすべき責任から不当に逃れられるのではないかという懸念と思われます。私は病気と認めることが必ずしも病気を免罪符としてしまうことにはならないと思っています(確かに難しいケースはありますが)。
具体例は次号で挙げてみたいと思います。

日本橋メンタルクリニック

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